弘法さんを語る会「弘法大師の教えと覚王山史跡探訪」

2005.12.5

開催場所:覚王山・和風喫茶「いち倫」

参加者:名鉄百貨店労組−鬼頭 (地域住民を中心に約50名の参加)

講師:大塚耕平議員

内容:覚王山日泰寺は、シャム王国(現在のタイ)から日本に初めて(本物と認定された)仏舎利(お釈迦様の遺骨)を納めるために建立された19宗派による共同寺院だ。また、弘法大師に因んで、周辺には八十八ヵ所霊場もある。半径1 キロメートル程度の範囲に収まっている「日本最小の八十八ヵ所霊場」だ。
日泰寺が建立されたのは明治37年のことで、当初は日暹寺(にっせんじ)と称した。
暹はシャム(暹羅)の国名から採ったもので、タイ(泰)と改称した後、昭和16年に寺の名も日泰寺に変えられた。
弘法大師は讃岐国(今の香川県)に生まれ、幼名を「真魚(まお)」といった。18歳で仏門に入り修行をし、22歳の時に悟りを開き、名を「空海」と改めた。延暦23(804)年に桓武天皇の特命で最澄と共に唐の国に渡り、インド伝来の密教を授かった。この時「阿舎利遍照金剛」の名をもらい、2年の留学を終えて帰国した。その時、唐からうどんの製法や備長炭、曜日などを日本に伝えたといわれている。

承和2(835)年、高野山金剛峯寺において62歳で入定。延喜21(921)年に醍醐天皇は「弘法大師」の号を贈った。
弘法大師の月命日である毎月21日に開かれる「弘法縁日」には参道沿いの「弘法堂」
に祀られている弘法大師の生涯を模した人形が公開される。明治の終わりから大正の始まりにかけて、境内付近に弘法大師四国八十八ヶ所霊場を模した札所が作られ、霊場巡りの行き帰りに参拝者が露店をのぞいていったことがこの縁日の始まりといわれている。

まとめ:大塚耕平氏の事務所は名古屋市千種区の覚王山日泰寺の参道前にある。彼は地域の発展のためにこのような講演会を実施したり、「弘法さんかわら版」
という新聞を日泰寺の参拝客に配っている。
昨年10/9 に開催した「まちづくりシンポin 覚王山」に参加した地元住民の方もこの講演に参加していた。今後も、名古屋でのまちづくりへの取組みとし
て、覚王山での活動に積極的に参加していきたい。